玉の井恵比須(京風茶房おちょぼ)
2013年02月18日
yucca at 11:10 | Comments(0) | 白山
※さが恵比須八十八ヶ所巡りの恵比須さんを、再度ご紹介しています。
詳細は、公式サイトを御覧ください。→こちら
こんにちは、川﨑です。
水をたっぷり含んだ空気がおも~く、梅雨らしくなってきましたね(><)
今日は、白山のおちょぼの前にある恵比須さんを取材してきました。
小さく控えめに、「西宮」と書かれた文字恵比須です。
どうでしょうか?私は、とってもお上品な文字だな~と思いました。
ここは、以前「玉の井」という酒屋さんだったのですが、恵比須さんもその時からあったそう。今回、「玉の井」を営まれていた石橋一雄さんに貴重なお話をお伺いすることができました。
むか~し、むかし、石橋左々衛門さんが「玉の井」を創業し、天保の時代にこの場所に移ってきました。ここでは、お酒を販売するだけでなく、同じ土地で実際にお酒造りもされていました。ちなみに、現在エスプラッツが建っているあたりが酒蔵だったそうですよ。
その酒蔵を建てたのは、2代目の石橋卯一さん。
そして、恵比須さんを建立したのも卯一さんです。
昔は美味しいお酒ができるか否かは、酒蔵を建てたすぐに決まるもので、つまりは酒蔵を建てるということは一大事でした。そこで、「いいお酒ができますように」と恵比須さんを建立されたそうです。
「現在のように機械が発達していなかった時代には、お酒を造る酵母菌の量は自然の力に任せるしかなかったからやろうね。人間の力ではどうもできんやったとですよ」と石橋さんは語ってくださいました。
恵比須さんのおかげで、そして卯一さんの努力により、酒蔵で美味しいお酒ができ、「玉の井」は大変繁盛したそう。
時代は流れ、残念ながら、平成15年に「玉の井」は店を閉じました。。。
しかし。
今も「玉の井」の跡はきちんと残っていますよ。
こちらです。
店の前の石畳。酒蔵の基礎石(土台)だったものだそう。
とってもすてきです。
ぜひ、おちょぼにお立ち寄りの際には、恵比須さんと「玉の井」時代の石畳も味わってみてくださいね。
川﨑でした。
より大きな地図で 佐賀の恵比須さん八十八恵比須巡拝マップ を表示
詳細は、公式サイトを御覧ください。→こちら
こんにちは、川﨑です。
水をたっぷり含んだ空気がおも~く、梅雨らしくなってきましたね(><)
今日は、白山のおちょぼの前にある恵比須さんを取材してきました。
小さく控えめに、「西宮」と書かれた文字恵比須です。
どうでしょうか?私は、とってもお上品な文字だな~と思いました。
ここは、以前「玉の井」という酒屋さんだったのですが、恵比須さんもその時からあったそう。今回、「玉の井」を営まれていた石橋一雄さんに貴重なお話をお伺いすることができました。
むか~し、むかし、石橋左々衛門さんが「玉の井」を創業し、天保の時代にこの場所に移ってきました。ここでは、お酒を販売するだけでなく、同じ土地で実際にお酒造りもされていました。ちなみに、現在エスプラッツが建っているあたりが酒蔵だったそうですよ。
その酒蔵を建てたのは、2代目の石橋卯一さん。
そして、恵比須さんを建立したのも卯一さんです。
昔は美味しいお酒ができるか否かは、酒蔵を建てたすぐに決まるもので、つまりは酒蔵を建てるということは一大事でした。そこで、「いいお酒ができますように」と恵比須さんを建立されたそうです。
「現在のように機械が発達していなかった時代には、お酒を造る酵母菌の量は自然の力に任せるしかなかったからやろうね。人間の力ではどうもできんやったとですよ」と石橋さんは語ってくださいました。
恵比須さんのおかげで、そして卯一さんの努力により、酒蔵で美味しいお酒ができ、「玉の井」は大変繁盛したそう。
時代は流れ、残念ながら、平成15年に「玉の井」は店を閉じました。。。
しかし。
今も「玉の井」の跡はきちんと残っていますよ。
こちらです。
店の前の石畳。酒蔵の基礎石(土台)だったものだそう。
とってもすてきです。
ぜひ、おちょぼにお立ち寄りの際には、恵比須さんと「玉の井」時代の石畳も味わってみてくださいね。
川﨑でした。
より大きな地図で 佐賀の恵比須さん八十八恵比須巡拝マップ を表示